ポーの一族、大阪公演を観てきました。
きっと、ミュージカルに詳しい方、主演の明日海りおさん初め各役者のファンの方、原作が大好きな方、さまざまな感想があって色んな方がたくさん書かれると思う。
わたしは「千葉雄大さんのファン」として観に行ったけれど(そして舞台という現場にわりと重めの感情を抱いている人間として)、同じ千葉さんのファンでも長いことファンの方とか、いろんな出演作を追いかけた方とか、言葉にしきれぬ思いまで含めてたくさん、たくさんあるはずだ。
でも、私も、無事に幕の上がった舞台を、実際に目の当たりにすることができた一人として、書きたいことがある、と思った。
こんな時勢だから、行ったこともしばらくだまっていようと思ってたけど、書かなきゃ、って湧き上がってきた。
今は新幹線の車内。空いてはないけど混んでもない。
ほんとは今頃、上空で、昨季彼が演じたパイロット役に思いを馳せてるはずだったんだけどなんて思いながら、窓の外をぼんやり眺めている(天候の影響でキャンセルになってしまった)。
発散しきれない思いのせいかなんだか頭が痛いほどだけれど、ぽつぽつ書こうと思います。
(以下、舞台のストーリーに触れます)
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好きな人が出ていることを忘れるくらい、見入っていた。プロの演者たちが、鮮やかな演出で、五十年経っても古びることのないストーリーを奏でていた。見事な音楽がそれを彩った。
歌、踊り、マイム、せりふ回し。
その全てが、息づかいが感じられる距離から、浴びるように降ってくる。
明日海りおさん、本当にすごかった。こう生きるために生まれてきたのか、と思った。
歌声に、立ち振る舞いに圧倒され、ぽかんと口を開けて見入ることしかできなかった。
ほかにも、何人も「こう生きてきた」人たちが、存分に研ぎ澄ました刃を振るいに振るってこちらを滅多打ちにしてくる中、千葉くんはいい意味で浮いていた。
アランだったけど、間違いなく千葉くんだった。
冒頭はあまり出番がなくて、ただただ目の前で繰り広げられる劇に没入していたのだが、ある瞬間にふと気づいたのだ。「ここに、彼が出るだと?」
ジャンルの垣根なんてなくていいと思っているし、いくつになってからでも、何にでも飛び込んでいい。
だけどそうは言ってもやはり、ミュージカルという舞台は、素養が必要とされるものだと思う。
たとえば踊りをとってみても、動きの基礎はクラシックバレエだ。あのバレエの、指先まで神経が張り巡らされ、いくつアンカーポイントがあるんだろうと思われる優雅な動きは、よほどの才能がなければ大人になってからの一朝一夕では絶対、絶対に身につかない。
歌だってそうだろう。経験がないから具体的なことは言えないけれど、ステージというのは、すさまじい努力と時間の積み重ねの、たったひと時の発露でしかないから。
だから、とんでもないものを観に来てしまった、と思った。
とにかく頑張れ。没頭しながらも客席から祈るように見つめる、という、自分が自分の身体を客席に置いてどこか遠くから顛末を見守っているような、不思議な心地だった。
目の前に現れたアランは、とにかく美しくて、生意気で、少年で子供で、めいっぱい彼の人生を生きていた。
それは、原作を読んだときに感じたものともまた違った表情だった。
そうか、ここでの君はそうなのか。
君たち二人は、そう生きるのか。
一番強く感じたのは、ラストシーンだった。
実を言うと、コミックスはまだ一巻の途中までしか読んでいない。
ミュージカルは原作を知って百倍楽しい、という大原則と、せっかく行くことが叶った大舞台で一番に浴びたい、という思いがせめぎ合って、結果すこしだけ読んでから劇場に来た。
だから、あのラストシーンが原作でどういう位置付けなのか、そもそも存在するのかも知らない。
ギムナジウム。
お高くとまった、鼻持ちならない「二人の」転校生。
世界にたった二人で取り残された彼らが、まるで私たちが今生きている現実の一部分みたいな景色の中にいた。
ポップに編曲された哀しみのテーマ。
ギターをかき鳴らし、陽気に歌い踊るクラスメイトの少年たち。そのうちの一人が転校生に話しかける。
「ねぇ、君にはメリーベルって妹がいない?」
「いるよ。それがどうかした」
……役だから、とかストーリーだから、とかじゃない。あの時間、エドガーとアランは舞台上に切り取られた世界に、確固たる存在として、生きていた。
ああ生きてる、と思った瞬間、受け止め尽くせない感情が全て涙に変わった。吐きそうなくらい涙が流れ、なのに視界が曇らないのが不思議だった。
生きていて嬉しい、のではない。
だって彼らは、生を謳歌していない。
むしろ、劇中で語られたのは絶望しかなかったのだ。
だから、でももしかして二人なら、という「希望」だなんて到底呼べないそれは「祈り」だ。
祈っていた。
彼らが、二人で「幸せのようなもの」に──いつか、たどり着けることを。
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またしても、なんてところに飛び込んだんだろう、と深く息をつくしかない。
食らいついて、やり遂げて、その姿勢が生き様が、どれほど多くの人を力づけることか。
素晴らしい舞台を、ありがとうございました。
どうか最後まで、無事に幕が上がり続けますように。
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ここから先はなんかぐあーっとなってしまった色々を箇条書きで。
テンションが全然ちがうのと、オタク語彙・文法なのでご注意。
- 全てが芸術品
- 明日海さんの目力…っっ 上手にはけるときにめっちゃ目で語る ぐあっと
- ちばしり
- ちばほっぺ
- 女性陣みんな歌がすごい 本職 うたのおねえさん(ちがう)
- 妖艶さ、耽美さというよりはピュアさを全体的にとても感じた
- ジェインかわいいよジェイン
- シーラきれいだよシーラ
- 薔薇の花売りの子の歌がとっっても好きだったな〜
- ジェインと語り部マルグリットが一人二役気づかなかったぅおお、ってかsugoi
- メリーベルの儚さ可愛さ愛らしさ百二十点満点だったけどフォロワさん友人の「メリーベルちばゆうだい」に全てを持ってかれてしまって俺は
- メリーベルといると少女どうしのような可憐さ儚さを漂わせていたアランが、エドガーと組むと、クッッッ(死)
- 「ちばくんファンはあーちゃんに嫉妬する?あーちゃんファンはちばくんに嫉妬してます!」みたいなコメント見かけたけど、ちばくんファンにはそのカップルがメルヘンにしか見えなかったので「メルヘンゆうだいありがとう」って思ってました ははは
- 宝塚に詳しくないので、一般的なミュージカルの文法で観ていたのだけど、いろんな畑の方が集まるチームなので型にはまらない自由さがあった気がする みんなが強みを伸び伸び活かせているステージだと感じた
- というか普通に「これはヅカ、沼」と心底わかってしまった 見た直後は圧倒されすぎてよくわかんなかったんだけど、時間がたつごとに、なんかすっごいじわじわきている、今
- 「モブだけど!モブじゃなかった!!!!」(訳 群舞と思えないほどみな個性豊かで歌と踊りが素晴らしい)
- 男性の踊り手がみなすっっげー飛ぶんだわ ふわりと浮いて時が止まる
- ダンス…よかった…
- 男爵がイケオジすぎて我を忘れた
- キング・ポーそしてブラヴァツキーの迫力に会場が揺れた
- となりの明日海さん推しのお客様に上演中急に熱烈な視線で見つめられて何かと思ったら真横の花道にいらっしゃった うつくしかった
- 顔がいい人は真下から見上げても顔がいいんですよ アオリ画角に耐えられるんですよ
- ちばゆうだい31歳年齢不詳…(矛盾)
- カテコのご挨拶でみりお様もゆうだいくんも超ぎこちなかったの和んだ ここの進化も楽しみすぎる
- 「私があまりにあっさり終わらせようとしすぎてごめんなさい」ってぺこりと謝った明日海さんとてもかわいかった(「ありがとうございました!」で音楽入るはずが合図があっさりしすぎて指揮者さんがついていけなかった笑)
- どうしても「ちばくん!」と思いながら見てしまったので(それはそれで悪いことではないが)おらぶスカイを「無」で見られたことがホントに運命だったよな…と感謝と悟りの境地に
- アランが始終ピュア成分多めで演じられたことにより、ラストで死んだ もうだめだ
- 一人で行って一人で帰ったら帰り道で発狂してたと思う お友達と少しだけど会えてよかった!対面ほぼできてないけど話せてよかった!
- しかし結局は発狂
- お友達とのLINEのラストが「また千葉雄大で会いましょう!」で途切れてたので、また千葉雄大で会えたことに胸が熱くなっちゃった…
- 帰りの新幹線で「これはブログ書かなきゃ」と思い立ち書き始めたものの、ラストシーンについて書きながら引くほど泣いた ありがとうマスクとソーシャルディスタンス
- ネットで得たアドバイスで一番有用だったのは「手を拭くハンカチ以外に涙拭くハンカチ持ってけ」でした 現場オタクの人間久しぶりの現場行く時ぜったいハンカチ二枚以上持ってけよ 引くほど泣いても知らんぞ
- 千葉雄大さんにおかれては長い長い公演期間中好きな人に会ったりするのは難しいと思うけどせめていいホテルに泊まってめちゃくちゃいいお布団で毎日寝ていてください
- ちばくんを甘やかせる人思いっきりちばくんを甘やかしてあげてください 何目線?ファン目線だよ!
- いやしかしよく初ミュージカルで…こんな…すさまじいよ…よく受けた…いやいや…いやだってさ…ハァ(特大ため息)
- ちばなるせで沼入りするのも大変だったけどさ、ちばアランで沼入りしたらほんとしんどいだろうと思うよ まだ見ぬ同志がんばれ
- すごかった、ほんとすごかった
- なんか、ほんともう、人生がんばろ、って思いました 不要不急に生かされています。ありがとう
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